tkk-aideepのブログ

徒然なるままに

濃くて、苦くて、愛おしい

私はコーヒーが好きです。

 


美味しい豆とか正しい淹れ方とか、そういう所の知識が豊富にある訳じゃないけど

朝に飲んで一日の気合いを入れたり、お昼に飲んで午後からまた頑張る為の材料にしたり、夜に飲んで一日頑張った身体を癒したり(夜に飲んでも問題ない体質)。

家でぼんやりと一人で飲むのも、カフェで楽しく誰かと飲むのも好きです。

 

 

 

でも、煮詰まってしまったコーヒーは嫌いです。

 

 

 

朝の準備に追われて、うっかりコーヒーメーカーを放ったらかしにしてしまい、煮詰まったコーヒーが出来てしまう事が結構あります。

 


「あぁ、失敗した」「もったいない」「せっかく作ったのに」

 


少し残念な気持ちになります。

 


だからといって捨てるのは何か嫌だし、淹れ直す時間もない。

いつものタンブラーに煮詰まったコーヒーを入れて、家を出ます。

 


学校で勉強して、友達と話して笑って、あっという間にお昼になって

午前中に沢山笑ったせいで煮詰めてしまったことなんて忘れていて、口に含んで、

「うわ、そうだった...」と、思い出す。

 


苦くて、酸っぱくて、焦げ臭い。

 

 

 

 

 

 

 


2020年ももう終わってしまいますね。

 


年の瀬はいつも「あっという間の1年だったね」だなんて言っている気がします。

でも、今年は特に。特にあっという間だったし、濃かった。

 


こんな事を言っていいのか分からないけど、

私は今年、何に喜んで何に悲しんだのかがハッキリと分かりません。

 


喜んだことも悲しんだことも沢山あった事だけは分かるけど、「それらを一つずつ述べてみろ」と言われたら、全部述べられる自信がありません。

 


だって、あまりにも色んな出来事が起きすぎたから。

 

 

 

 

 

 

2020年最初のシングル、推しさんの初センター曲。

 


「オリンピックにピッタリだ」

 


なんて言葉をMVのコメント欄に見つけました。

正式なオリンピックテーマ曲になる事はまあないだろうから、「そう思うだけならいいよね」と私も大きくその言葉に頷きました。

とても強い曲だと思いました。

 

 

 

でも、こんな事言いたくないけれど、

 


音楽の力が現実的なものに直接打ち勝つことは不可能でした。

 


音楽が直接影響を与えられるのは、人の心だけ。

人の心を動かし、動かされた人が何かを成し遂げる、という事は沢山あると思うし、それが音楽の素晴らしさだと思うけれど、誰かに聴いてもらう事がなければ音楽はただの音になってしまう。


音楽を流しただけで空気は綺麗にならないし、貧困も無くならないし、戦争も終わらない。


受け取る側がしっかりと音楽を受け取って、それを自分のパワーに変えて、現実的なものに立ち向かっていかなきゃいけない。

 

 

 

 


今年、トークコールや特典会、推しさんと色んな場面で色んな話をしました。

ふざけた話も、現実的な話も沢山しました。


画面を通して受け取ったものに対しての感想や感謝を述べれば、いつでも彼は

 


「受け取ってくれる皆がいるから」

 


と言いました。

 


「受け取ってくれる皆がいると自分の中でのギアが一段あがる」

「受け取ってくれる皆の反応が俺のモチベーションに繋がっている、原動力になっている」

 

 

 

受け取ったものをパワーに変えて現実的なものに立ち向かっているのは、

ファンだけでなく、彼らも同じでした(「同じでした」と言い切っているのは、何だか上から目線のようで、いかにも分かりきっているかのようで、言葉選びが難しいところではあるけれど)。

 

 

 

 


12月中最後の特典会での言葉です。

 

 

 

「今年俺たちがやってきた事が正解だったのかは分からない。でも、皆の目に見える反応を見て『正解だったのかな』って思う位はいいのかなって思う。」

 

 

 

正解かどうかを判断する材料が、受け取る側の反応だったんだとしたら、感じたことや思ったことはちゃんと伝えなきゃいけないな、と強く思いました。

 

 

この言葉は、私が今年一年で伝えたかったことを言った後に返ってきた言葉です。

 

伝えている途中で、私は盛大に泣いてしまいました。

今まで推しさんの前で泣いてしまった事は何度かあったけれど、こんなにも盛大に泣いた事はない、というくらいには泣いてしまいました。嗚咽混じり、と言ってもいいくらい。

 

 

絶対に泣きたくなかった。 

 

 

だって、恐らく誰よりも悔しい思いをした人が目の前にいるというのに私が泣くなんて、あまりにも失礼で、愚かで、情けないと思ったから。

 

 

それでもやっぱり、私も悔しくて仕方なかったんです。

 

「こんな世界になるのが、何も今年じゃなくたって良かったじゃないか。」

と、何度も何度も思いました。

 

 

ぐちゃぐちゃになりながら話す私を、

彼はただ静かに、時に笑いながら、とても優しい顔で頷きながら見ていました。

どういう気持ちで見ていたのかは分からないけど、

 

とてもとても優しい顔をしていました。

 

今までも、この時も、彼が「泣かないで」と言ったことはありませんでした。

ただ笑って、頷いてくれるだけ。

とても優しい人なんだなと思います。

 

 

 

落ち込んだと思いきや、新しいことやもので笑顔にしてもらい、

落ち込んでいたのを忘れかけた頃、またひょんな出来事で悲しみ、でもまたそれ以上の元気を貰う。

 


今年一年、煮詰まったコーヒーを作ってしまった一日のようでした。

 

 

 

 


でも、この一年で彼らがしてきたことを、私は「不正解」にしたくない。

今年一年を「あぁ、失敗した」「せっかく初のセンター曲ができたのに、もったいない」

と、思ってほしくない。

 

 

私なんかただのなんてことないオタクの一人で、発する言葉に力はないかもしれないけれど、

もし彼の、彼らの原動力のほんの一部にでもなれるなら

 


何かを伝える事をやめたくない

応援することをやめたくない

 

 

 

強く、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 


今年の春、初めてオタクの皆さんと繋がりました。


日々の供給への感想や意見、時にはそれぞれのプライベートに関する話

色んな話が溢れるタイムラインは新鮮で、勉強になるものばかりで、とても興味深くて。

今まで単騎で楽しんできた者として、新しい発見でした。

 


彼らに何かを伝える、応援するにあたって、オタクの皆さんの応援の仕方は参考になるものばかりで、

今となっては他のオタクの皆さんとの繋がりはとても大切なものになっています(いつも仲良くして下さる皆、ありがとう)。

 

 

 

そう考えると、勝手ではあるけれど、

今年はオタクとして何か一つ成長出来た年でもあったのかな、と思います。

あまりに色んな事、色んな気持ちが入り交じった年だったけれど、

今までの考え方も伝え方も、何もかも変わった気がしました。これは100%良い意味で。

 

 

 

 


「烏合は俺の曲だから」

「今年はフォーゲルイヤーだよ」

 


会話をする中でこう放たれた言葉の真意は分からないから、私が勝手に解釈するだけだけど、

 


烏合之衆を、烏合之衆がうまれた2020年を

少しでも誇りに思っていてくれたら、それはとても幸せな事だと思います。

背負い過ぎていないか心配になる時もあったけどね。

 

 

 

 

 

 

私にはひねくれ者の血が流れているので、他の方の書いた素敵なブログを読むと、自分の中でのブログを書く気持ちがなくなってしまうというか、「もう十分だ」と思ってしまうというか、そんな気持ちになります。

この文章も出そうか出すまいか少し悩んだ所ではありましたが、文字にして供養する分にはまあいいか、と思って出しました、とても支離滅裂😌

 

 

 

 


2021年はどんな年になるのだろう。

 

 

 

「今ある気持ちを忘れることのないように過ごしたい」

と、今の時点では思っているけれど、きっとこれからも色んな目標がどんどん出てくるのだと思います。

その一つ一つを大切にして生きていきたいな、と思います。

 

 

 

推しさんにも、オタクの皆さんにも

直接会ってお話が出来る年になったとしたら、それはとても素敵だな。

 

 

 

 


ここまで読んで下さった方がいたら本当にありがとうございます、こんなものに貴重なお時間をつかわせてしまってすみません〜!

どうか皆さん、お身体を大切に!絶対生きて会いましょ!!(元々薄っぺらい文章がここにきてより薄っぺらになった)